《蜘蛛之丝》小记(转)

《蜘蛛之丝》小记(转)

书评(转自天涯社区

拯救,是个宗教色彩很浓的词语,它意味着庄严神圣的使命,意味着使人克服生存危机,挣脱苦难,进入福慧境界。越是现代社会,它的分量就越沉重,依靠谁、借助什么、用怎样的方式实现拯救,也成为文学家关注的严峻课题。芥川龙之介就是试图以一篇《蜘蛛丝》来探寻拯救的答案。

散步于极乐净土莲花池畔的佛祖释迦牟尼,忽然发现了堕入十八层地狱血池中的大强盗犍陀多。念及后者曾放过蜘蛛一命的善念善行,佛祖居然想把他“拯救”出地狱。恰好有一条明亮的蜘蛛丝挂在莲叶上,佛祖即顺势将它垂向地狱深处,让它作为通天之梯帮助犍陀多脱离地狱。犍陀多抓住蜘蛛丝拼命向上爬去,渐渐远离刀山剑树。就在此刻,他发现,同一根蜘蛛丝上居然有成千上万与自己一样的罪人,于是,故态复萌,大声呵斥驱赶那些人,企图独占蛛丝。谁知,蛛丝恰在此时断开,犍陀多又坠回地狱。此情此景,佛祖看在眼里,徒叹无奈,而莲花则是自始至终悄然无语,静观其变。

这件拯救故事,有三个显著的元素,拯救者,拯救工具,被拯救者。

拯救者释迦牟尼,大慈大悲,乐观热情,他以普度众生为己任,又为犍陀多微小的善念善行所感动,实施对个体罪人的拯救。可以推想,此时,他是很自信的,小小善举,偶一为之,必当易如反掌。然而,结局出乎他之预料——拯救行动失败。他的慧眼有走神的时候,他的全知全能有失效的时候,这些也必然导致人们对佛祖拯救能力的怀疑和动摇。

作为拯救工具的蜘蛛丝,也是一条纽带,连接善恶两极世界,组织起拯救的义举;它明亮而纤细,既象征着光明与希望,又暗示着脆弱和渺茫。它的断开,宣告拯救行动的失败,意味着悲剧结局的到来。而这一切又是必然的,不以人的意志为转移的。
被拯救者犍陀多,杀人放火,无恶不作,落入地狱,实属罪有应得。他本人对脱离苦境也本无奢望,只能无休止地本能挣扎。他心中虽有善念,但不被启迪,也难以发扬光大。匆忙之中,获得拯救机会,他恶习难改,遭受惩罚,也是合情合理的。

由此看来,上述三个元素都是有限而有缺陷的:佛祖的慧眼,能看到过去、现在,却无法预知将来,连此次拯救的过程都没有设计安排好,整个行动具有很大的随意性;蛛丝虽好,难堪大任;犍陀多恶念太多,善念微不足道。因此,此次拯救注定失败。

如果只注重故事情节,注重动作性,就很容易忽略了第四个,也许是最关键的元素——莲花,因而也就难以挖掘小说深刻的主题。她看似一个无动于衷的旁观者,实际也是以菩萨心肠关注着拯救过程,并以特殊的方式暗示指导后来者的自救,犹如古人所说“桃李不言,下自成蹊”,行的是不言之教。

莲花,是佛教象征之物。小说中的莲花,雪肤冰肌,花蕊娇黄,散放着奇香瑞气,生长在水晶般清澈的池水中,与她相对照的是犍陀多,猥琐凶残,所在的地狱血池漆黑、凄凉、静寂,令人毛骨悚然——世界的两极,天壤之别。莲花,超凡脱俗,是极乐净土的形象代言人。

莲花有今天,恰是她自悟、自救的结果。她原本生于淤泥中,不洁多垢,但她审视环境,忍辱负重,自强不息,化淤泥为福田,终于绽放出最圣洁的花朵来。她不执著于外人,比如佛祖之类的;不执著于外物,比如蛛丝之类的,变“人度我”为“我自度”——要改变命运,全靠自己!拯救,实际就是自我拯救,她是拯救事业的光辉榜样。

莲花看起来毫不介意,却始终散发宜人的芳香,以不言的方式做出示范:如是自度,方为正途;唯有自悟,方可自救。佛祖执着于自信,不能成功;犍陀多毫无觉悟,不可能被拯救。

作为一个深受西方思潮影响的现代作家,不会以翻唱古曲的方式去宣讲佛理,新瓶装旧酒,他可能赋予作品以下意义:一是宣扬自立精神,学莲花;二是鼓励怀疑精神,拷问权威;三是提倡批判精神,鞭挞自私卑贱的思想;四是认清拯救的艰巨性,不会一蹴而就,要有长期奋斗的准备。

《蜘蛛の糸》原文翻译

一天,佛祖释迦穆尼独自漫步于极乐世界的莲花池畔。池中绽放的朵朵莲花洁白如玉,花心的金蕊赏心悦目,从中散发出的宜人芳香弥漫周遭。此时的极乐世界恰是清晨时分。
佛祖伫立池边,无意之中,从覆盖着水面的莲叶间隙看到了下界的情景。莲池之下正是十八层地狱的底部,透过水晶般的池水,三途河①与针山②的景象如水镜中的场景一般清晰可见。
此时,一个叫做犍陀多的人和其他罪人挤在一起蠕动的场面映入佛祖的眼帘。佛祖知道这犍陀多虽然是个杀人放火、无恶不作的大盗,却也干过一件善事。话说一次,犍陀多穿过森林时见路旁有一只蜘蛛在爬行,于是抬起脚来欲将之踩死,可转念一想:不可,不可。蜘蛛虽小也是一条性命,随意杀之岂不罪过。想罢,最终放了蜘蛛一条生路。
佛祖注视着地狱的景象,同时也想起犍陀多曾放生蜘蛛一事,于是琢磨着对他那唯一的一次善举给与回报,寻机使之脱离地狱。恰巧看见旁边翡翠般的莲叶上有一只极乐世界的蜘蛛在拉丝,佛祖轻轻取过蛛丝,自洁白如玉的莲花间隙径直将蛛丝向遥远的地狱放下去。

在地狱的血池里,犍陀多同罪人们沉浮其间。四周一片漆黑,若偶尔在黑暗中有些许光亮闪现,也只是针山的反射,煞是瘆人。而且四周如墓穴一般寂静,间或听到一些声音,也唯有罪人们的呻吟,因为坠入此处的人饱受形形色色地狱之苦,已没有了哭泣的力气。故此,就连犍陀多这江洋大盗也只能呛着血池中的污血,如濒死的蛤蟆一般残喘挣扎。
一次,犍陀多不经意间仰望血池上空,发现幽暗之中,有一根银色的蜘蛛丝,畏缩地反射着微光自遥远的上空向着他的头顶坠下来。犍陀多一见,情不自禁地击掌欢呼,心想:若是攀着这蛛丝可随意而上的话,定能脱离苦海。不!弄得好或许还能去极乐世界,若果真如此,既可免遭逐上针山,也可逃离血池。
主意已定,犍陀多迅速双手紧紧抓住蛛丝,开始拼命向上攀爬。原本是盗贼出身,攀索自是他的拿手好戏。
然而地狱与极乐世界之间相距数万里,即便心急也不会轻易到达的。攀爬了一会儿,犍陀多终于疲惫不堪,已无捯手之力。于是,无奈之下,暂作休息,他悬在蛛丝上向遥远的下方眺望。
一望才知自己攀爬的成果有多么显著,方才置身的血池,眼下已隐没在黑暗之中,而且那令人恐怖的针山也已远远地抛在脚下。若依此势头爬上去的话,逃离地狱似乎为时不远了。犍陀多双手缠绕着蛛丝,嘴里发出久违的欢笑声:“妙哉!妙哉!”然而同时他也突然发现这蛛丝的下方有无数的罪人紧随其后攀爬上来,那行列有如蚂蚁的队列。见此情景,不知是因为惊讶,抑或是因为恐慌,犍陀多如痴呆一般张着大嘴,唯有眼珠在转动,心想:这细细的蛛丝勉强能承受我一人的体重,如何能负担如此多人的重量?我是何等宝贵!如今好不容易爬到这里,万一蛛丝绷断,岂不是要和这些罪人一起跌回到地狱中去?若果真如此,后果不堪设想。然而,就在他胡思乱想之际,依然有成百上千的罪人蠕动着从血池中爬起来,纷纷攀上这纤细光亮的蛛丝,并排成一行拼命向上攀爬。如果此时不设法阻止,蛛丝定会一断两截,自己将坠回地狱。
想罢,他大声吼道:“呔!罪人们听着,这蛛丝可是我的,谁让你们爬上来的?快给我滚下去!滚下去!”
这一吼不要紧,一直安然无恙的蛛丝突然从他攀爬的地方“嘭”地一声断开。于是犍陀多也完蛋了,只见他风驰电掣,有如旋转的陀螺一般,转眼之间一头栽回到黑暗的地狱里。
身后唯余半截细细的蛛丝悬在既无月亮也无星星的半空,一闪一闪地反射着微光。

佛祖伫立池畔目睹了这一切,待到犍陀多如顽石一般沉入血池之底,佛祖形容悲悯,径自漫步而去。犍陀多只想自己脱离苦海,没有一丝慈悲之心,再次跌入地狱是他应得的报应。在佛祖看来,这确是一件令其感到可悲的事情。
然而,这一切之于极乐世界的莲花自然是毫无意义的。在佛祖的脚边,莲花洁白如玉,花萼随风摇曳,从花心的金蕊中不断散发出宜人芳香,弥漫周遭。此时极乐世界已近晌午。
(一九一八年四月十六日)

注释:
①也叫做“三途川”。传说中,“三途河”是生界与死界的分界线。因为水流会根据死者生前的行为,而分成缓慢、普通和急速三种,故被称为"三途"。
②佛教中六道轮回的地狱界,四处都是针山火海血池。

《蜘蛛の糸》原文

        一

 ある日の事でございます。御釈迦様(おしゃかさま)は極楽の蓮池(はすいけ)のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮(はす)の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色(きんいろ)の蕊(ずい)からは、何とも云えない好(よ)い匂(におい)が、絶間(たえま)なくあたりへ溢(あふ)れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。

 やがて御釈迦様はその池のふちに御佇(おたたず)みになって、水の面(おもて)を蔽(おお)っている蓮の葉の間から、ふと下の容子(ようす)を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄(じごく)の底に当って居りますから、水晶(すいしよう)のような水を透き徹して、三途(さんず)の河や針の山の景色が、丁度覗(のぞ)き眼鏡(めがね)を見るように、はっきりと見えるのでございます。

 するとその地獄の底に、※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多(かんだた)と云う男が一人、ほかの罪人と一しょに蠢(うごめ)いている姿が、御眼に止まりました。この※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛(くも)が一匹、路ばたを這(は)って行くのが見えました。そこで※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗(むやみ)にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。

 御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、この※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多には蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報(むくい)には、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠(ひすい)のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮(しらはす)の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下(おろ)しなさいました。

        二

 こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一しょに、浮いたり沈んだりしていた※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多(かんだた)でございます。何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただ罪人がつく微(かすか)な嘆息(たんそく)ばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の責苦(せめく)に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊の※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多も、やはり血の池の血に咽(むせ)びながら、まるで死にかかった蛙(かわず)のように、ただもがいてばかり居りました。

 ところがある時の事でございます。何気(なにげ)なく※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛(くも)の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多はこれを見ると、思わず手を拍(う)って喜びました。この糸に縋(すが)りついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。

 こう思いましたから※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多(かんだた)は、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。元より大泥坊の事でございますから、こう云う事には昔から、慣れ切っているのでございます。

 しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦(あせ)って見た所で、容易に上へは出られません。ややしばらくのぼる中(うち)に、とうとう※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。

 すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居ります。それからあのぼんやり光っている恐しい針の山も、足の下になってしまいました。この分でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限(かずかぎり)もない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻(あり)の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦(ばか)のように大きな口を開(あ)いたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断(き)れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数(にんず)の重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断(き)れたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎(かんじん)な自分までも、元の地獄へ逆落(さかおと)しに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這(は)い上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。

 そこで※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは一体誰に尋(き)いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚(わめ)きました。

 その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断(き)れました。ですから※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多もたまりません。あっと云う間(ま)もなく風を切って、独楽(こま)のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。

 後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。

        三

 御釈迦様(おしゃかさま)は極楽の蓮池(はすいけ)のふちに立って、この一部始終(しじゅう)をじっと見ていらっしゃいましたが、やがて※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多(かんだた)が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、※(「牛へん+建」、第3水準1-87-71)陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。

 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着(とんじゃく)致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足(おみあし)のまわりに、ゆらゆら萼(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好(よ)い匂が、絶間(たえま)なくあたりへ溢(あふ)れて居ります。極楽ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう。

(大正七年四月十六日)

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